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2025 IM Cairns Vol.3

まだまだ元気そうな素ぶり。

チェックインが終わり、ブリーフィングまでの時間を会場見学に費やす。

日本語でのブリーフィングはとても助かり、この点もIRONMAN Cairnsで海外デビューするのはオススメ。パストレースを振り返ると日本語ブリーフィングがあったのはマレーシアだけかも。

屋外の青空が広がる下、緑豊かな広場で、多くの日本人選手たちの姿を発見する。芝生に直接座るひと、寝っ転がるひと、思い思いの姿勢で解説に聞き入っていた。自分はエムドットが染められたデッキチェアに身を沈めた。

説明の中で印象的だったのは、ランラップは自己責任ということだ。ランラップを重ねる毎に、リストバンドを手渡されるのは、IRONMANではお馴染みの筈だが、ココではスタッフたちにそんな手間はかけさせない笑 4周を終えてまだ走りたい人はどうぞ、そんな感じ。

説明もそこそこに、気候の心地良さとランチ後のまったりタイムが相俟って、睡魔に襲われる。デッキチェアを9時10分の角度にしたことも、、、グッスリ眠った。起きると、Samさんを囲んで日本人選手たちで記念撮影をしている。そこへ加わる元気も何故か出て来なかった。しばらくすると、ステージ上にはプロ選手が並び始めた、そんな様子を見ながらまた眠りにつく。どれだけ寝ても、睡魔に勝てないのは、今から思えば、体調が良くない証拠だったのだろう、、、

to be continued,,,

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2025 IM Cairns Vol.2

UberXに乗車後、空港を出て15分ほど経つと、左手に緑豊かな公園が広がり始めた。緑地の輝き方がまぶしい。見た目の印象から芝生のフワフワ感が日本のそれとは明らかに違う。そしてその向こうには、一瞬、湖?と見紛う海が見えてきた。朝陽の柔らかな光を海沿いの樹々が遮り、遮光の加減はココがリゾート地であることを我々に知らせてくれる。更に進むと黒字に「IRONMAN」と染め抜かれた横断幕が視界に入り、街全体が歓迎ムードであることを示し、気分も次第に高まってくる。

道中、芝生が豊に覆う立派な競技場があり、一瞬、学校の運動場かと思ったが、後に調べるとホッケー競技場たった。確かに、平日の朝にも拘わらず、たくさんの体格のゴツイ選手たちがユニフォームを着用し、練習に励んでいた。

ホテルへ午前8時過ぎに到着。場所は、ゴールゲートを部屋から見下ろすことが出来る「Shangri-LA」。チェックイン時間には早過ぎ、到着早々の空腹感を満たしたかったため、無愛想なレセプションで受付のみを済ませ、荷物はドアマンに預けた。自分らと同じようなゲストも多く、ドアマンたちはそんなゲストたちに対応すべく、忙しく右往左往していたが、不快感は全く感じず逆に笑顔が輝いていた。

妻とスケジュールを確認。アスリートチェックイン、アイアンマンストア共に9時からオープン、朝食まで時間はある。「腹が減った」と何度もつぶやき、ホテルの外へ。

気になる気温は、少々肌寒く感じる。薄手の長袖パーカーを羽織り海の見える遊歩道「Cairns esplanade scenic walkway 」を二人で歩く。人工のラグーンプールの向こうには白いテント群が軒を連ねていた。プール名は「esplanade lagoon」といい、白い砂浜まで再現されている。しかも誰でも利用出来る、つまりは無料。水が豊かであることを水面上に立てられた5匹の魚たちが無言のうちに誇示している。

プールサイドにcafeのテラスが我々を引き寄せた。「Aqua lagoon cairns 」はオープンしており、朝のコーヒーと軽食を注文する。テラス席には、小鳥たちが警戒心を何処かへ忘れてきたかのように、テーブル下に潜り込み、おこぼれを待っている。なんともゆったりとした時間に、旅の疲れが癒される。

午前10時前、ゆっくりと朝食を済ませ、アスリートチェックインの前にショップへ立ち寄る。チェックインを優先とも考えたが、混雑している様子でもなく、直ぐに対応してもらえそうだったこともあり、売り切れる前のショップを優先した。もはや、大行列は日本での大会特有の現象か、南北海道然り、セントレア然り。

ショップではいつものワクワク感は薄かった。それは体調のせいだったのかもしれない。結局、ここでは妻のTシャツと息子のヘッドバンド等数点のみを購入したのみだった。自分が欲しいと思ったシャツはサイズが無かったことも意欲がそがれた原因かもしれないし、興奮度が薄いと自覚症状があったのは、贅沢な悩みだ。

 とは言え、店内はさすが海外のIRONMAN、定番のTシャツ、サンバイザー、サイクルジャージなど、品数、種類は豊富だった。日本国内でもこれくらいの種類が欲しいと強く主張したい。海外のIRONMANへ挑戦される方は、サイズ等SOLDOUT品が出る前に、早めにショップへ行くことをお勧めします。

 午前11時ごろ、チェックインも無事に済ませた後、重度の眠気に襲われる。スマホのバッテリー残量も一桁になり、近くのマックへと移動する。もちろん、充電目的で。しかし、Aus.のマックは非情だった、、、妻が充電できるお店をさがしてくると言い残し、自分は歩道に設置された花壇の縁で、少し寝ることにした。屋外とかなんとか気にしていられないくらい、体調的に少々ダルイカンジではあった。目が覚めた時刻は午前12時少し前。

目が覚めると、隣に妻が座っている。こちらをのぞき込んで、様子を伺っている。充電できるお店はなかった様子で、ランチの時間も近いことから、彼女のお勧めのお店を紹介してくれた。場所は、寝ていた直ぐ右側の建物内にあるレストラン。出入口がわかりづらかったが、EVで屋上まで上がるとそこがレストランだった。

 レストラン「Oaks&Vine」は「OAKS」ホテル内にある。ニュージーランド、ウェリントンで宿泊したホテルと同名だ。夜になると、ホテルの壁面にOaksの文字が光り輝き、RUNの目標物になった。眺望はケアンズの海が眼下に広がりとても開放的だった。おまけに、スマホの充電をお願いすると、気持ちよくOK。

 クラブハウスサンドとやきとりチャーハンのランチを注文する。量と味ともに大満足だった。海と会場を見下ろすロケーション、マイクを使ったアナウンスも耳に入ってくる。SAMさんの日本語ブリーフィングがそろそろ始まる時間になった。

、、、to be continued

 

トライアスロン, Uncategorized, 旅行

2025 IM Cairns Vol.1

 2025年の第二戦に選んだのは「Aus.Cairns」。 初戦、丸一日以上の移動時間を乗り越え上陸した南ア。宿到着早々、咳込み、まさかの発熱でDNF。

 流石に今回は「二の轍は踏まないぞ」と意気込んだ。おかげさまでなのか、レース直前の二週間は絶好調だった。南アの悪夢を払拭すべく移動中は、マスクと手洗い励行を完璧に行い完全防備を心掛け、ウィルス退散!とでも言わんばかりに、最善の配慮を尽くす。

 関空へは自宅を午後1時30分過ぎに出発、到着は午後5時過ぎだった。駐車場情報は、トライ仲間の皆さんから予め収集済みでその結果、関空JPパーキングを利用。因みに南アも関空からの出発であったため、同じ駐車場を利用していたので、場所も把握していたし、特に不安はなかった。因みに料金は割引チケット(300円分)を利用し7日間で6,700円。支払いは現金のみ。

 先述の通り、南アとは異なり移動時間はその半分以下の約7時間。機内で寝てしまえば、朝にはCairnsに到着しているはず。そう考えただけで、とても気持ちは軽い。もちろん、寝られればという前提ではある。

 通常時は、3,4度起きてしまう、夜間頻尿に悩まされるアラ還の自分、今回は1度トイレに立つだけで済んだのではあった。

 今回のキャリアは、JET STARを利用。生憎、セントレアから直行便は無いため、関空発のチョイスになったのだが、特に不自由なく、駐車場を含め、移動距離もゆっくりドライブ気分で約4時間、ストレスは殆ど感じない。更にLCCであることで、お財布にもストレスが余りかからないと言って良いだろう。今回は二人分往復で約162千円(含む、オーバーサイズバゲージチャージ、受託荷物増チャージ、軽食チャージ)だった。

そして、2019年以来のAus.へ着陸。Cairnsは二人を快晴で出迎えてくれた。

Uberの詳細

 Cairns国際空港、前回来たのは約30年前。当時は名古屋空港が国際空港であり、カンタス航空で移動した。折しもバブルが弾けた後ではあり、多少は影響があったとは思う。しかし、日本から旅行地を海外とする旅行は右肩上がりの全盛期だったといっていいだろう。

 そんな中「海外旅行にCairnsはどう?」と、妻が当時勤めていた日本通運の子会社「日通旅行」からの勧めもあり、手配をお願いした。とはいえ、宿泊地は、グレートバリアリーフやキュランダ等といった観光地にほど近い、Cairnsから約1時間ほど北上した「Port Douglas」ではあった。今回も、大会翌日から移動し、2泊を当時宿泊したホテル「Sheraton-grand-mirage」へ予約を入れておいた。これはこれで、とても楽しみな旅行アイテムでもあった。

 両替は空港のカウンターで行う。閑散としていたため、これもストレスなくスムーズに完了した。¥20,000が、AUD185.70、@¥107.70と、ちょっと高めだった。

 到着客は日本人が多く、10人程のチーム仲間の集団が2,3、家族連れや、ソロでいたり様々。レンタカー、タクシー、送迎バス等それぞれが乗り込んでいく。辺りをゆっくりと流れる空気と時間の経過とともに、次第に朝陽が差し込む到着ロビーに残っていたのは、自分たちだけであった。

 両替を済ませ、UBERを手配、車種はUberX。到着まで4分と表示され、ロビーの目の前にある乗車場所へと早速移動する。外気に初めて触れたが、少々肌寒く感じる。気温は20度前半だろう。乾燥しているせいか、とても爽やかに感じた。BIKEの積載が可能かは心配であったものの、到着した車両はヒュンダイのSUVであったため、難なく積載をクリア。

 移動手段は、大会翌日までUberを主体と考えていた。ホテルからチェックイン会場までは徒歩圏内だったし、Cairns市内中心部も同じ。わざわざ車で移動することは殆どない。前日にT1へ準備のため移動するには、大会側が準備しているバスを利用するか若しくは自走すりゃいい。妻のような応援者も予約(往復AUD10)しておけばバスへの乗車は可能。極力、移動手段はリスクヘッジしたほうが良い。

 海外へのレース遠征では、Uberをとても便利に使わせてもらっている。南アでも大活躍だった。わざわざレンタカーを借りなくても、選択肢としてはいちばんに考慮すべきだと思う。タクシーよりも廉価だし、地域によっては決済手段を含めて安心。

 空港からホテルまで約7.8km、料金はAUD25.48とチップAUD3の合計AUD28.48(¥2,748)、全て降車時に登録済みのカードで決済、チップも同じ。

 とりあえず、今回はここまで。

to be continued…

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おきなわKINトライアスロン

スイム2km バイク70km ラン22km のミドルディスタンス。

記念すべき第一回大会へ参戦!

本大会を未の群れへ投げ入れたのは「神のご加護」を賜ったGod Bless Mr.Y本🐏(以下、「G.B.はるさ」)

結果はさておき…(笑)

雷で大会中止という、三人中トラ歴の最長のMr.Y木🐏(以下、「しーちゃん」)も経験したことのない結末を迎えた😆

 早朝6時過ぎにセントレアへ到着。いつものようにバイクを預け何事もなくチェックインを終える。今回はJTAを利用。空港では、某バイクショップのK萩社長、お久しぶりの、H〜ンちゃん、朝スイムでご一緒のO本さんらと出会う。お互いの健闘と台風の影響がないことを祈り挨拶を交わしつつ、機内へ乗り込む。

約2時間半後、午前10時前に那覇空港へ到着。宿やレンタカーの手配はG.B.はるさが全て手配済み、感謝感謝。空港からはレンタカー屋のバスで約20分移動。受付を済ませ、荷物を載せて、いざ金武町(きんちょう)へ。余談だが、トライアスロン大会の「KIN」の意味がわからなかったが、町名と知った。

 目的地、金武町のお店でランチ、チョイス基準はしーちゃんたっての希望、地元に愛されている沖縄そば屋さん。お店の名は「チャンプルー食堂」。昼時ということも相俟って駐車場は満車状態。くたびれた暖簾を潜ると、そこかしこから勘弁してくれと言わんばかりに汚れた店内。愛されている感満載。お店の店内外を問わず、使い倒されている。店員さんとお客さんとの距離も近く、アットホームでゆっくりした時間が店内にはながれていた。因みに、米騒動の余波は沖縄まで達したようで「ご飯のおかわりは100円ちょうだいします」と貼り紙が地味に訴えていた。

 ランチ後、受付会場へ移動。金武町屋内運動場、いわゆる町の体育館。宮古島大会で同じく受付会場だったJTAドームを思い出した。

アスリートチェックイン、宿へのチェックインを済ませ、バイクケースを開梱。幸い雨も降らず、広々とした屋外で汗だくになりながら組み立てる。三人共、痛恨の忘れ物もなく、バイクはノーダメージだった。

 先ず、組み立てたバイクの調子を確認しつつ、ランコース(2周回)を下見。迷いながらも、お散歩中のオジーに「こっちよぉ」みたいな手招きを受け、車で下見している選手達と情報共有しながら周回。コースの強度は、程よいを通り越し、勘弁してくださいと言わんばかりのアップダウン、コレを2周回と思うだけで閉口した。唯一、ランが得意なG.B.はるさだけの表情だけは、自信に満ち溢れていた。

 バイクコース(4周回)は車で下見。こちらも、勘弁してください坂ばかり。のぼり下り共に長くは無いが、脚を休めることはできそうにない。また、急な下りのその先、直角右折、しかも対向車線の向こうから折り返した選手とすれ違う、必然的にこちらは返還前の沖縄の如く右側通行になるため鋭角にならざるを得ない、そんな要注意交差点や、普段から通行量の少ないダム湖周辺の路面苔やらも確認。当日が雨模様だったらと思うと、皆生大会での悪夢がよみがえってきそうではあったが、いずれにせよ、無事故で自宅へ帰られることを三人真面目顔で祈念した。

夕食、ホテルで豪華とは言えないビュッフェ形式のディナーを食し、早々に就寝。

 天気予報、前日まで台風🌀25号(うさぎ)が沖縄へ接近。ひょっとしたらスイム中止もあり得ると覚悟して飛行機に乗ったが、レース当日は間違いなくスイムはヤレる空模様。

 起床後、各々バイクの準備を始めた時、本ツアー最大の危機が訪れた。G.B.はるさのバイクのバッテリー切れが発覚。うんともすんとも言わないDi2。おまけに、通常チャージ中は点灯べきオレンジのランプが、点滅する始末。彼の性格上、間違い無く家を出る前、フル充電していたはず。しかも、前日の試走時迄は何も異常がなかっただけに、三人へのディープインパクトは洞爺湖の水深よりも相当に深く暗く、計り知れなかった…

この時点では、単なる悪戯か、しーちゃんのワルダクミのどちらかとしか思えなかった。

 いずれにせよスタートまでまだ数時間ある。AからZまで、つまりあらゆる手段でリカバーを試みるG.B.はるさ。そして携帯バッテリーなどを提供するしーちゃん。程々に朝食を済ませバイクの元へ駆けつけるも、リカバーには至らなかった。この事態にG.B.はるさは冷静に判断を下す。

「コレは、レースに出てはならぬという神のお告げ。」 

と、悟りの境地へ至った。過去のレースでは、カンガルーの親子を避けきれず、自身の身体を痛めつけた経験者ならではの、是非を言わさぬ言葉に、我らはうなづくしかなかった。しかしせっかく沖縄まできたわけだ。「せめてスイムだけでも」と言う我々の言葉をよそに、G.B.はるさの決意は、兵庫県知事の意思に匹敵するほど固かった。悟りは後に裏付けられるように、後にとんでもないカタチで、我々を含む参加選手達に証明される事となる。

スイムは2周回。

 見た目よりも、ずっと泳ぎやすいコンディション。泳ぎやすい割に、いつも通りタイムが出ない。苦笑。オープンウォーターが苦手なことをいい加減自覚したほうがいいかもしれない。また、直前にコース変更されたと言う点は、第一回大会ならではのご愛嬌。その理由は、一番奥のブイのアンカーが海底に届かなかったと言うことらしい。。。そのブイは、目標物としては視認性がとても悪く、途中何度もヘッドアップを余儀なくされる。

 ようやく辿り着いたT1。自分よりも先に、バイクスタートに向かうしーちゃんの後ろ姿を発見。あ~またスイムで先越されたな。バイクスタート付近では、南米アンデス地方から来たのかと思う容姿のミュージシャンが陽気に歌で送り出してくれた。エイドも同場所にあり、黒糖、バナナ、水、ポカリが設置されていた。実は、この大会のエイドで唯一食べ物があった場所はここだけだったという記憶。

バイクは4周回。

 アップダウンの連続で、平坦がない沖縄特有の地形を活かしたコース。短めの坂が多く、脚を休める暇がないのは先述の通り。思い出したのは、毎年2月に行われる沖縄マラソン。同様のアップダウンが連続し、あっという間に脚が削られる。気温は24℃前後、曇天の空模様、熱中症になりやすい気候である。バイクへ滴り落ちる汗がアラートを発し続ける。途中、雨がシャワーのように降り注ぎ、気持ちが良い。1周目に様子を見つつ、2週目からモチベーションをアップしバイクを駆る。

 しーちゃんを何とか捉えなければ、マスター〇本氏に叱られそうだ。「たろさん、何やってんの?」耳元でこだまする。汗 その恐怖心もあったがモチベ120%、パワーと心拍は60%を心がける。1周回目、なかなか見えてこないしーちゃん、バイクスタートから30分程のすれ違い地点でようやくしーちゃんの姿をロックオン。そうなると力がロックオンしてしまう。丁度、次周回へ入る地点には、G.B.はるさが応援してくれていた。その地点、2周回目でようやくしーちゃんをパス、いい気になっていたが、ゴールしバイクを降りるときに感じたのは、やっちまった、、、左側内転筋が攣り始めた。やはり、マスター桑〇氏への恐怖心は絶大だった。その恐怖心は、やがて遠くの雲を呼び寄せ、雷鳴を近づけることになる。

 T2で、五本指ソックスへチェンジ。今までよりもスムーズにお色直しが完了したと思ふ。しかし、あちこちが痙攣し始めるから、何ともギコチナク、シューズの紐を結ぶことも一旦は諦めムードになるほど、動けなかった(笑)

 雷鳴が大きくなった。雷雲が接近する中、ランスタート、直ぐにG.B.はるさの叱咤を受ける。神の声には従わなくてはならない。しかし、直後の急な下り坂で、右脚内転筋、左脚ハムストリングスが、大合唱を始め、うずくまる。身体が重い、もう走れないとネガティブマインドへすっかり色は染まる。

 2kmほど進むとビーチサイド。そこまで長いこと…完全に気持ちも途切れた。すれ違いのコースで励まされるのは嬉しいが、トボトボ歩く姿を見られるのはなんとも気恥ずかしい笑 軽快に走る選手を何人も見送ることになる、抜かすことは決してない。そんな中、軽〜い脚どりで、正面からH〜んちゃん登場。「いりやまさーん、頑張って!」その場だけは走ろうと頑張る。次はK萩社長の登場、「たろうさん、頑張っ!」「はい!」その場だけは走る。次は背後から。またまた前から、挙げ句の果てに、追い越して行った高○さんが、また正面からやって来る。「たろさん、ゴールで待ってるから!」ゴールまで行けるかなwww、、やれやれだ。

 カフェイン投入で、目を覚ましたいと思っていたところ、私設エイドが目に入る。どこかの引っ越しセンターのエイドのようで、オフィシャルのそれに比べ、バナナ🍌はもちろん、おにぎり、そしてコーラがテーブル上に鎮座していた。コーラに至っては、冷蔵庫から出してきたばかりじゃないかと思うほど、キンキンに冷えている、最高だ。ここでコーラを投入していいものかどうか相当迷ったが、気持ちは正直。コップ1杯のコーラで喉を潤した。

 シートベルト着用のアラート音がけたたましく鳴る様に、両脚からの痙攣サインも次第に強くなる。攣り始めた脚を摩りつつうずくまっていると「大丈夫ですか〜?気休めかもしれませんが、黒糖2つありますので差し上げます。」と、女神の声。声の主は女子2位の太田麻衣子さんだった。と同時に、バックポケットを探る。塩カプセルを携帯していたことに今更ながら思い出した。黒糖と、塩カプセルの効果は徐々に痙攣した脚を癒してくれたが、気持ちはすっかりウォーキング大会、兎に角身体が重すぎる。しーちゃんが直ぐに追い抜いていくのではないかと言う気配を感じつつ、、、

 やっとの思いで9キロを過ぎた。引っ越しセンターエイドで、おにぎり1個とコーラを1杯ゴクリ。そして走り出し、直ぐにとぼとぼ歩く。すると「おじさん何歩いてんのと?」背後から聞き覚えのある声が。振り向くと、疲れた中にも満面の笑みを浮かべるしーちゃんだった。ランスタート時、12分ほどの時間差があったらしいが、とうとうここで追いつかれてしまった。彼も相当歩いていたらしく、たろさんは相当先へ進んでいるはず、きっとすれ違い様に出会うだろうと想像をしていたらしい。期待を裏切らず、しーちゃんよりも歩き倒した自分、彼よりも相当長い距離を歩いていたから、ここで追いつかれてしまった。

 雷雲が真上にあるかと思うくらい、大音声で雷の音が周囲へ響きわたる中、二人で並んでジョグが始まる。「制限時間って何時までだったっけ?」考えることがシンクロしていた。ほんの僅か、しーちゃんが先行した矢先、コース中央へマーシャルが立ちはだかった、両手を×印に構えて… 直後に状況を察したのは、しーちゃん。破顔一笑、くるりとコチラを向いて「中断❣️」と一言。もちろん自分も大喜び。コース中央、真昼間、二人で熱いハグを交わした笑 どうやら考えていることは同じだった。

二人とも雷で中止になってほしいと念じていた

 マーシャルに促されて移動したのはビーチサイドに設置されたゴルフクラブの施設の建物。落雷に備えた措置である。割と早いタイミングで中断の判断の指示を受け、大屋根の下テーブルを囲み、他の選手たちを待ち受けるような感じとなる。続々と選手らが集まり、凡そ三クラス分の人数を数えるほどとなった。また、愛知からの参加者が多数集い、愛知県民会さながらのテーブルとなった。中には、2周目であとゴールまで3kmだったという選手もいたが、こうなっては同じ穴の狢(むじな)である(笑)。その中にはトライアスロンYouTuberのヒロさんも(笑) 動画内で嬉しそうな自分らの姿も登場していた。

 時折小雨になったり、あがったりで、いつでも戻れそうだが、時間だけが過ぎていく。愛知県民会のAO木さんのアップルウォッチで、5分おきに表示される天気予報を見つめる。「あと5分で雨が上がる。そのあと5分間は雨が降らないから、その間に走り出せば大丈夫」「G.B.はるさにLINEで連絡は取れないか」「いや、LINEではお友達ではない。釘〇さんとはお友達だ」「だったら。〇宮さん経由でメッセンジャーなりでG.B.はるさへ連絡をとれないか」等々、ザワツキも頂点に達す。

 冗談とも本気ともわからない雑多な会話があちこちで響き、爆笑の渦が巻き起こっていた。さらには、みんなで、G.B.はるさが爽やかに「やぁ!」と登場するのではないかと期待していた、、、

 代わりに現れたのは、まさかの愛知県協会所属マーシャル姿のオヤヂ高〇さんだった。自分らの姿を見て一言「もっと速く走らんもんで、こんなところで捕まるんだわ」はい、ごもっともです、、、とっても忙しそうなオヤヂ〇梨さん、インカムから飛んでくる指示の対応も、めっちゃ大変そうで、指示が一貫していないようだった。

そして、ついにオヤヂから運命のコール。

一瞬静まり返って直ぐにざわつきになり、拍手喝さい!

 約1時間ほどの退避時間を経て、「自力で」ゴールへ向かうことになった。言葉を聞いた選手たちは、十分な休息を得ており元気いっぱいに一斉スタート。第2ランが始まったかのようだった。もちろん、走る走る。

 そして、ようやく辿り着いたゴール。アンクルバンドを返却し、メダルとフィニッシャータオルを受け取った。その時には、快晴の青空が称えてくれた。

 退避中、愛知県民会のテーブルで青〇さんが放った一言が印象的だった。

確かに、God Bless Mr.はるさ、、、そのとおりだった。。。

 ということで、人生初の雷で中止となった大会。まだまだネタは無尽蔵にあるのだが、この辺でお開きにしたいと思ふ。

大会後のアワードパーティーは、14時半から始まり19時半過ぎまで続いた。。。

旅行

IRONMAN Japan みなみ北海道 Vol.6

北海道が会場。

移動手段は幾つもあった、考えただけでワクワクする、飛行機、新幹線、自走、、、その中で優先事項はBIKEの持込みだった。選手たちの中には、西濃運輸等へ配送を委託するケースも見られ、タカさんはその方法だった(と思う)。自分はと言えば、56錬をギリまでやっておきたかったこともあり、配送は念頭になし、振り返ってみると、この数年、自身のトレンドは輪行である。そうなると、飛行機へ飛びつきたい、何と言っても短時間で楽だ。東北新幹線も乗ってみたい、、などと、明後日の方向へと思いを巡らしている内、あっという間に梅雨が明け、セミが大合唱する7月に入っていた。暑いからなのか冷や汗なのかわからないが、ジワリと気持ちに焦りが生じた。

IRONAMANの公式スケジュールは割と早くに公開されていた。自分は5月から1週間に一度確認をしていた。というのも全文英語表記であるため、凡そ見慣れた感はあったから何とも思わなかったが、、、違和感が生じたのは、受付会場やゴール会場も英語表記であったこと。英語表記のまま地図を検索しても出てこない。日本語表記の表示とは異なり、グーグルマップで何度も確認、しまいには疑心暗鬼になってくる始末。結局、大きな注意点を見落としたまま、行程を決めてしまった。。。

太平洋フェリーは名古屋港から出航

今年ほど北海道の地図を見たことも記憶にないかも。今から30年以上前、ブック形式の全国地図を片手に、北海道への地図を開きつつ、地図に示された地名を見て、そこで広がるであろう色々な風景を想像する、それはそれで味があった気がする。当時、愛車だったランドクルーザー80で北海道を旅した、その時は全行程ランクルで移動。只管高速を北へと進み、大間港まで行き、函館へフェリーで渡った。隣のてるみが、いつも楽しそうに、地図と窓から見える風景を眺めつつ。そうした中、「いつかはフェリーで北海道」との古い憧れと、今回の旅程とがリンクしてきた。そう、「いつかはフェリーで北海道」を今こそ実現すべく、フェリーでの移動をチョイスする。

名古屋港発は、太平洋フェリーがある、というかそれしかない。日程と航路を念入りに調べる。名古屋港を19:00に出航、翌日16:40仙台港へ寄港し同港を19:40に出航、翌日11:00に苫小牧港へ到着、水曜日の夜に出て、金曜日の午前着という船旅。

復路は、違うフェリーにも乗りたい気持ちから、小樽港から新潟港への移動とした。船会社は、新日本海フェリー、NHKの番組「ドキュメント72時間」でも取り上げられていたアレ。小樽港を17:00に出航し、新潟港に翌日09:15に到着する。

その後、大変な事実に気付く、そう重大な注意点を見落としていた。試験の答案に自分の名前を書き忘れたような感じ。。。周囲の友人たち(エントリー済み)も、その事実に驚愕。それは、アスリートチェックインと言われる、選手受付のデッドラインが、9/13(金)14時までという事実。正にホラー映画が現実化したようで、大画面への破壊力は凄かった…

この破壊力は、大西洋に浮かぶ氷山よりも強固で、予定していた名古屋港発のフェリーを転覆させることになる。というのは、到着予定の苫小牧東港から受付会場の北斗市まで、Google先生は3時間超の所要時間を示す、それは受付に間に合わないことを意味する。高速だから何とか時短出来るだろうと、根拠のない自信と、なんちゃってうちなー気質が、ココロをファジーにしていく。しかし、間違いがあってはならない。時折り「間に合わなくてもいいかぁ〜」という囁きも聞こえてくる。しかし、受付に間に合わないという悪夢にうなされた時には、やっぱり何とかせねばならんと思い始めた。

そんな悪夢をてるみに話すと「往復共、新潟発にしたら?」と。「お〜!」そんなことにも気づかなかった自分に呆れる。まるで、Back to the futureのドクの心境「わんぽいんととぅうぇんてぃわんジゴワット!?」と同等のシーンを演じた。悩んでいた自分と時間はいったい何だったんだ!シミュレートしてみると、コレがまた旅程にマッチすること。笑 水曜日の夜出発は変わらず、火曜日中に帰るのも変わらず。

航程は、水曜日の夜出発、22時頃直江津の「門前の湯」へ到着し一泊する。翌日9時頃出発し、12時新潟港発のフェリー乗り場へ到着、翌々日の金曜日午前4時30分に小樽港到着というもの。なんとも、受付時間まで余裕である。因みに「門前の湯」は、佐渡へ渡る際、定宿として何度も利用していた。直江津港へ自動車で5分とかからない立地と、疲れを癒す「くびきの温泉」に浸ることができる。

新潟港。

寄港していた「らべんだあ」という名のフェリーの姿を見たときの興奮度は、IMを完走したときのそれと同一であった(笑)。「佐渡もそうだが、旅は船旅に限る、なんといっても、旅情を誘うなぁ」と気分は旅人。因みに復路は「あざれあ」であったが、大きな違いはなかった気がする。

新潟港で小樽航路の文字を見るだけで興奮する

360度見渡す限り海に囲まれ

意外だったのが、ぐるりと360°見渡す限り、海上を航行したことだった。普通は、島影があったりで、なかなかそんな風景にはお目にかかれないのだが、船旅の醍醐味を存分に味わった。

往路は運良く快晴に恵まれ、日本海へ沈んでいく夕陽がとても美しく感動。水平線を避けるように雲がなく、海へ沈んでいく様、見ていて飽きなかった。余りにも色々なことに恵まれすぎて、レース時に何かあるんではないかと、心配するほどだった。

翌金曜日の午前4時30分、船は無事に小樽港へ入港した。船の揺れを感じることなく、また、心地よいエンジン音が規則正しく耳に届き、ぐっすりと寝ることが出来た。

下船後は、一目散に函館市を目指す。9時到着予定で、函館市の海鮮市場で、朝食にありつく為であった。リサーチはバッチリ済ませてあった(笑)

自車で北海道を走る、人生で二回目のドライブだ。距離約230km、時間約3時間30分、途中動物の飛び出しに注意しつつ、朝食会場を目指す。。。